大阪梅田・阪急百貨店のレストラン シャンデリアテーブル

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梅田 阪急百貨店 デート・記念日に最適なシャンデリアテーブルのご紹介

唯一無二 麗しの大空間

グランドカフェ&レストラン
"シャンデリアテーブル"への期待

橋爪紳也

大阪府特別顧問・大阪市特別顧問 / 大阪府立大学21世紀科学研究機構教授
大阪府立大学観光産業戦略研究所長 / 大阪市立大学都市研究プラザ特任教授

橋爪紳也 氏
橋爪紳也 氏

 1920年代から1930年代。「大大阪の時代」が到来する。
 周辺市町村を合併、第2次の市域拡張を行った大阪市は、都市計画を実施して都市の近代化に取り組んだ。
大阪市は、そして大阪の市民は、みずからが暮らすこの都市を誇りを持って「大大阪」と呼んだ
まもなく関東大震災によって東京が壊滅したのち、大阪は文字通り「東洋一の商工地」と自画自賛する アジア有数の巨大都市へと成長、この国を支えた。
 「大大阪の時代」は、また世界各国の主要な都市が同時代の文化を共有する グローバルな都市化に先鞭をつける時代であった。
欧米の最先端のライフスタイルが大阪にもいち早く紹介され、人々の価値観を改める。
 空気の良い郊外住宅地での生活地には、洋風に改良された文化住宅が建ち並んだ。
ターミナルには米国流のマーケットやチェーンストア、欧州風のデパートメントストアが誕生、 豊かな消費社会の幕開けを告げた。
盛り場にはレビューを上演するカフェが店を構え、 アヴァンギャルドな文化を謳歌するモダンガールモダンボーイが闊歩した。

マッチカバーコレクション
阪急百貨店 絵はがき

 日本にあってターミナル型のマーケット・百貨店の先駆けとなった阪急ビルディングは、 まさに「大大阪の時代」を象徴する建築である。
水平方向のストリームラインを強調する「フリースタイル」のモダンな意匠・平面計画は竹中工務店が担ったものだ。
昭和4年3月の第1期工事から昭和11年までの4期におよぶ増築を経て、東西に長く連なる全容を示した。
 建築において、もっとも凝ったデザインがなされたのがドーム状の駅のコンコース部分である。
東洋建築史の大家である建築家伊東忠太が、細部意匠を手がけた
モダンな建築のなかにあって、東洋趣味の装飾が随所に散りばめられた
どの国のデザインとも限定できないアジア風のデザインである。
 さらに伊東は「公衆の目を惹くに足る壮麗なもの」という会社からの要望に従って、 龍・ペガサス・獅子・鳳凰の図像を小壁に配置した。
これらの聖獣の存在を、建築家は「電車の快速と威力を象徴するもの」と説明した。
 「流線型」「スピード」「直線」などが流行語となった1930年代。
モダンな外観の百貨店は、「消費文化の殿堂」と呼ぶにふさわしい。
ショーウインドーには最新のファッションが展示され、さまざまな商品が店内に陳列された。
衣食住のすべてにおよぶ流行は百貨店から発し、都市に向けて宣伝がなされた。
デパートに足を運ぶ市民を、架空の聖なる生き物が出迎えていたのだ。

阪急百貨店 初期の包装紙
阪急百貨店 初期の包装紙

 「グランドカフェ&レストラン シャンデリアテーブル」では、再生されたドームの両サイドにこの4体の聖獣を蘇らせ、中央に往時のシャンデリアを低く吊る。時空を越えて、上質かつエスニックな 感性に溢れた唯一無二というべき、「伊東忠太ワールド」の真髄を味わうことができる。
 しかも単に懐古趣味に走るものではない。前衛的でアバンギャルドな文化が開花した 1920年代から1930年代の時代に敬意を表し、今日にあってもっとも先鋭な要素が加味されるようだ。
レトロと未来性、懐かしさとアバンギャルドが交錯する空間に私たちが見を置く時、 今日から未来にかけて発揮されるであろう、大阪の活力を再確認することになるだろう。
 歴史は繰りかえす。かつて関東大震災後の日本の活力を「大大阪」が支えたのと同様、 東日本大震災からの復興を果たすこの国にあって、大阪への期待は高まっている。
担うべき役割は際限がなく、その責任は重い。
 「グランドカフェ&レストラン シャンデリアテーブル」は、すべてがモダンであり、 発展への希望で満たされていた「大大阪の時代」の精神と 「元気」を、未来を見据えつつ、象徴的に再興する試みである。
梅田に新しい名所が誕生する予感がする

※ 上記グラフィックアイテムは、すべて橋爪紳也氏によるコレクションです。
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